閑話休題

特に誰に話すわけでもない思考のアウトプット場

「ず」の話

先日ボーリングに行った。1年ぶりくらいだったと思う。

私はボーリングが下手な自覚があるので、ボーリングが上手い人とは絶対に行きたいと思わない。世には上手い人にご教授願って、自分も上達していこうという向上心の塊のような素晴らしい人もいるけれども、私は無理だなと常々思う。

それはひとえに私が「負け嫌い」な性質であるからなのだけれども。

 

「負けず嫌い」ではなくて「負け嫌い」という言葉を目にしたのはいつ、どこでだったかすっかり失念してしまった。

昔のことではないと思う、どこかのネット記事か本で目にしたんだと思うのだけれど……。

とにかく初めて「負け嫌い」という表現を目にしたとき、これはいいな、と思った。これは使えるぞ、と思った。

「負けず嫌い」という言葉以上に自分にしっくりくるなと思ったんですね。

 

勝負事はあまり好きではない。負けるかもしれないからだ。絶対に勝てる戦いにしか挑みたくない。負ける可能性があるのなら、最初から試合自体を放棄してしまう、私はそんな性格なのだが、それを「負けず嫌い」の言葉に集約されるのにどこか違和感があった。

 

これは私の感じ方の問題でしかないのだけれども、「負けず嫌い」という言葉はどこか熱血だなあと思うんですね。負けたくないから勝つまで何度も挑戦したり、負けないように自分を高めたり。少年漫画の主人公という感じ。

私の勝負事に対する姿勢はこんなに直向きではないなあ、と思っていたんでしょうね。私は少年漫画の主人公ではないなあと。主人公に憧れる少年Cくらいかなあと。そう思っていたのでしょう。

 

で、そんな少年Cの前に現れたのが「負け嫌い」。ただただ負けるのが嫌い。向上心などない、リスクをとらない臆病者にしっくりくるなあと思いました。

以降、「負け嫌い」という表現はよく使うようになった。わざわざ負けず嫌いではなく負け嫌いであるということを強調してまでね。

 

そもそも、「負けず嫌い」の「ず」とはなんなんでしょうね。

まあ「ず」は打消しの意味だろうけれども、何を打ち消しているのかという話です。

字面で見れば「負け」を打ち消しているんでしょうが、そうとってしまうと問題ですよね。「負けないのが嫌い」になってしまうわけだから。

 

「ず」の謎を解くためには違う例も必要かなあと思って引っ張り出せるのが、「食わず嫌い」ですかね。

そうそう、食わず嫌いといえば、とんねるずの番組の食わず嫌い王決定戦。あれ不思議だなあと思っていたんですよね。

私の中では「食わず嫌い」という言葉は、「食べてもいないのに嫌っている」という意味なのだけれど、決定戦はただ嫌いな食べ物を当てるゲームじゃないですか。結局「食べたくないくらい嫌っている」という捉え方なのかな?と思って納得することにしたのですが。

 

「負けず嫌い」も同じなのかもしれない。「負けたくないくらい嫌っている」……?うーん。しっくりこないような……。

 

まあ調べてしまえばどこかに答えは転がっているのだろう。負けず嫌いの「ず」の意味。

だけれども、調べてしまったらなんとなく負けな気がするなあ。

私は負け嫌いだから、一生この答えを知ることはないのかもしれない。なんてね。

負け嫌いは損ですね。